10Ks記念の、ただの思い出振り返り②(2007~2010年の話)
さて。今回は、赤西さん脱退までのお話しです。
口調がまぜこぜになって読みにくいけど直すのも面倒なのでこのまま行きます^^
■ざわざわざわ
2007年になると、なんだかソワソワし始めた。
デビューコンサートのDVD発売が決定し、特典にYOUのPVが付くと判明したり、
何だか亀梨さんが物凄いテンションの高いマニュアルをアップしたり、(後に赤西さんに会いにKAT-TUNでアメリカに飛んでいた時にアップしたんだと知る)(この時のファンの名推理やばかった)
4月から冠番組が決定したり、ツアーが決定したり、
当時お世話になっていたロッテさんが赤西さん込の新CM流したり(まさかの写真出演)
これは、もしかして、もしかすると…
確信に変わったのは、ツアー中の亀梨さんの発言。
「6月6日に新曲(喜びの歌)発売が決まりました!666!!!」と、何故か666を連呼していたらしい、というレポを読んで、6月6日に6人ってことだな!?そうだな!!?まさに喜びの歌!!!と、とにかく待ち望んでいた。
■君がいる!素晴らしすぎる!!!
そうして赤西さんは帰ってきました。
復帰会見の日、楽しみにNEWS ZEROを待機していたのに、
立てこもり事件が起こって内容ぶっ飛んで、「なんだよ!!」って思ったのは忘れない。
KAT-TUNってこういうこと多いよね!台風来たりさ、カツカツバンジーの回だってバレー中継かなんかの延長のせいで深夜2時とかに放送になっちゃったしさ、地震だってさ…って、これはもうちょっと後にちゃんと書く。
とにかく本当に、本当にうれしかった。赤西さんが帰ってきて初めてファンの前に姿見せた時、5人とも凄いうれしそうだったのが何より嬉しかった。
そういえば、この赤西さん合流に伴って、聖が主演した「特急田中3号」のオープニング、3、4パターンあるんだよね。
ちゃんとは覚えてないけど確か1話目5人、2話目5人だけど「止まらねえ!」無し、3話目6人、4話目6人(ハモリ増・CDと同じ)みたいな。あんな変わることあるんだって面白かった。
それからしばらくは何だかんだ楽しいことばっかりだったなー
キプフェを初めてラジオで聞いた時は、「なにこの超カッコいい曲!!!!!」って鳥肌立って、CD発売前に完全に歌詞も覚えるくらい聞きこんだし、
その後の曲もみんなカッコよくてメイキングは可愛くて充実してた。
個人的な後悔といえば、
「初めてのコンサートは自分の稼いだお金で!」って変なこだわりのせいで、女王魂や中丸君の楽しい時間や上田君のソロコンや舞台に行かなかった事。
DVDにならないこともある、そもそもいつまでその形でいるか分からない、と痛いほど思い知った今なら、過去に戻ってとにかく現場に行けと過去の自分をぶん殴る。
唯一悲しかったのは、デビューした当たりから1年半ずっとでんでんでやっていたラジオ(KAT-TUNスタイル)が有閑倶楽部期に急に2Jに変わった事かなぁ…。
最初はよそよそしかったのに、スッカリ仲良くなってボケて突っ込んで、すごくテンポのいいラジオで楽しかったんだよなぁ。
10分も無い放送時間だったけど、毎日1日の最後にカツスタ聞いて元気もらってたのに、何の予告もなしにいきなり2Jのまったりシュールなラジオになっちゃうんだもん…
今考えれば、クリスマスに24時間の生ラジオやるのに赤西さんの方がネームバリューがあったからだろうけど、そんな大人の事情とか思いもしなかったからただただ悲しかった。
※たしか半年後くらいにまたでんでんに戻ったけど
そんなことがありつつも、
2009年にはBreak the recordsで初めて生KAT-TUNを見て、
ドーム3回、地方(広島)2回入ったけど、どこもみんな楽しかった。
ドームでは圧倒的な演出力で魅了されて、(Rescue→OneDropの繋ぎ&一瞬の証明変更最高!ホワクリの映像+ジュニアマンション最高!サディラブのレーザー最高!とか言い出したらキリがないから割愛)
何より、まさかのポスターが当たるというミラクルが起きたし(こきたん本当にありがとう…)
アリーナではお顔が近くで見える分、「何この人たちイケメンすぎる・・・・」ってなったし、公演ごとにソロ曲変えまくって「え、ジャニーズもそんなことするの??」って驚いたし、それも恐らくメンバー発信で何やるか決めてるっぽい所にエンタメ根性感じて素敵!ってなったし…本当に楽しかった。
この頃、SMAPさんとの共演が本当に多くて。
8日間連続でドーム公演できるのもそうだし、事務所的にもKAT-TUNを売ろうって思っている感じがすごくしていた。
ワクワクしていた。この6人が今後どうなっていくんだろうかって。
でも、その裏で、いやーな燻りも確かに感じていた。
■突然じゃない、でも信じられない。足跡が分かれた日
2010年7月に、赤西さんの脱退が発表された。
よくよく思い返せば、楽しかった裏で、私が違和感を覚え始めたのは2008年末頃だった。
ホワクリのPRでテレビ露出していた頃。ちょうど、BANDAGEの撮影をしていた頃。
もともと、態度がいい方ではなかった。
けれど、この頃から笑顔が減り、疲れてる?と思うことが増え、ハットを被って顔を見えなくする事が増えた気がした。
それでもBreak the recordsでは笑顔もあったし、何だかんだ楽しそうに見えた。
でも。ソロコーナーでペンライトやうちわを持つなって言ったり、明らかに「アイドル」を避けたがっているように見えた。
そしてアンコールに出てこなかったり、サングラスをかける時間が物凄く増えた。
無駄に英語を使うことも増えた。(BANDAGE番宣期はひどかったと思う)(本当に日本語が苦手なんだなって、今なら笑い話だけど)
2010年年始にSMAP×SMAPに出た時は、ちょっと安心したところもあった。ちゃんとアイドルをやれていたから。
(あの時赤西さんが言った「またスマスマに出演して、(SMAPの皆さんに)敬語を使っていただきたい」っての、まだ覚えてるからなこの野郎)
でも、ラブユア聴いて、ソロパートほとんど自分で英語に書き換えたって聞いて、PVで全然サングラス外さないの観て、ソロ曲(Apage)聴いて、とにかくすごく不安になった。
2010年2月にやったソロコンでは、KAT-TUNにいる時よりは生き生きしていた。ように見えた。英語をふんだんに使って、ダンサーさんとわちゃわちゃして、MCもほとんど無くて。アイドルからアーティストになろうとしていたように見えた。
この頃には、体調不良と言って冠番組の収録にも姿を現さない事もあった。
そんなこんながあって、3月には冠番組終了が終了し、その翌日に、赤西さんが一人でアメリカツアー、5人は日本+初の海外ツアーという「2WAYで世界進出!」という発表があった。
…なんで?どうして?2WAYってなに、ソロコンはおめでたいけど、日程的に、平行して行うのは出来ない事なの?って納得がいかなかった。
それでも発表が覆るわけでも、何か説明があるわけでもなくて
気持ちの整理が付かないまま、5人での新曲が発表された。
その曲、Going!は、これまでのKAT-TUNとちょっと違って爽やかで明るい曲だった。
Mステに4週連続出演という、今では考えられない優遇を受けたり、たくさん歌番組を見ている内に、徐々に自分の中では
「シンメすきー、B型組すきーっていうのと同じように、5人の形もすきーって思っていればいいんだな」って思いこむようにしていた。
実際、このとき中居くんの歌番組で、中居君が「あれ?また一人いないべ?」っていじってくれた。(本当に中居君はファンが聞きたい言葉をいつも引き出そうとしてくれるから素敵)
メンバーは「いやいや帰ってきます」って言っていた。
でも、正直もう戻ってこないじゃないかって、思うこともあった。この時、KAT-TUNは初めて「コンサートリハーサル」というものに客を入れた。
急な告知で、以降一回もやっていない事だけれど、この時みえたのは、“5人の形を作ろう”と試行錯誤するメンバーの姿だった。
このコンリハの時私は、ずっと2006年の留学の時を思い出していた。留学時の5人は、“居ない間の穴を埋めよう”という感じだったのに、この時は違った。
赤西さんが書き換えたというラブユアとDモのソロパート部分の歌詞は別のものにされていた。
それ以外の曲も、完全に歌割りが変わっていた。メンバーから、赤西さんの名前が一切出てこなかった。
そしてやっぱり、私には一緒にGoing!を歌って踊る赤西さんはどうしたって想像できなかった。
そうして、6月になって発売されたアルバム「NO MORE PAIN」。
NMPもPROMISE SONGも、赤西さん絡みとしか思えなかった。
そのアルバムを基にしたドーム公演初日を見て、さらに嫌な予感しかしなかった。
演出上、過去のPVの切り貼り映像が流れたけれど、きれいに赤西さんはカットされていた。
そして相変わらず、メンバーからは何も話が出てこなかった。
公演自体は楽しかったけれど、そこがどうしても頭から離れなかった。
そして、ホテルに戻って、一晩たって起きたら世界が変わっていた。
「赤西仁 脱退」の文字が、テレビに、新聞に、ネットに溢れていた。
いくら予感がしていたと言っても、まさか本当にそうなるなんて。
信じられなかったし信じたくなかった。
フラフラになりながらその日もドームに向かったら、「チケット譲ってください」を掲げた女の子たちが沢山いた。
何か話してくれるかもしれない、みんなやっぱり、そう思ったんだと思う。
公演始まる前の会場内は、なんだか異様な空気だった。どんよりとしていて、皆がみんな、どんなテンションで彼らを見ればいいのか分からないという戸惑いに溢れていた。
この日の公演、冒頭で聖が叫んだ
「行くぞ東京ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」いつも以上に大声で、張り裂けそうな声で、私はいきなり泣いてしまった。
でもこの日も、赤西さんについては何も触れられなかった。
MCにはマッスーが来てくれた。あんな空気の中、5人だけで回すのは無理だったろうし、
来てくれて本当に良かったと、今なら思う。
(同じ入所日、同じ誕生日だけど、そっちじゃない、来てほしいのは、って思ったのは内緒)
こうしてKAT-TUNは、一度目の脱退劇を、「見ないふり」をした。
けれど、未だに分からない。
脱退報道があったとき、ジャニーさんのコメントに
「2度目はファンも許さない。けじめをつけなければ」みたいな事があった。
2度目ってなんなんだろう。
その後、徐々に、赤西さんの跡が消されいった。
メインステージに、KAT-TUNと頭文字のオブジェがあったのだけれど、ツアー最初の方はきちんと1文字1文字メンバーカラーだったのに、いつの間にかKAがピンク(赤多めのピンク)に変わっていた。
相変わらず赤西さんには何も触れられなくて、
赤西さんは赤西さんでマニュアルで「楽しかった ありがとう」と勝手にKAT-TUNに別れを告げて、「ソロでガンガン活動していきますんで」って勝手なこと言って、10月に脱退していった。
メンバーは背中を押す言葉ばかりを並べていたけれど、本心はどんな気持ちだったんだろうって、思う。特に10Ksのパンフを読んだ今、亀梨さんは何を思っていたんだろうなぁ…。
つづく!
10Ks記念の、ただの思い出振り返り①(2006年の話)
KAT-TUNの充電前のラストLIVE、「10Ks!」
4/3ナゴヤドームと5/1東京ドームに参加しました。
あの日からもう2週間以上経ってるだなんて嘘みたい。
ツイッタ上ではオタクたちがまだまだ楽しく懐古祭りしてるのを見て、なのにKAT-TUNは充電してて、
なのに裏KAT-TUNが積極的に活動しているのを見て「なんだこの世界は…」と不思議な気持ちであります。
今更かなと思いつつも、なんだか自分の中にモヤっとした気持ちが残っているので、私も過去を振り返ってみたくなりました。
何のことはない、オタクのただの思い出語りです。長いです。
思い出故に美化してたり、記憶違いなとこもあるかもしれないですが、そんな時は生暖かい目で見るか、「いや、ちげえし」って言ってください。
■沼に着くまで
私がKAT-TUNと出会ったのは2006年3月。高1。
それまでは二次元に落ちてたものの、もともとアイドルに抵抗はなかったし、女子校だったせいもあって、クラスに一人は熱いジャニヲタが居て、色々と情報だけは耳に入っていた。
ただ、ごくせん2の時は「そんなに面白いか…?」なんて変につっぱったり
コンビニで仁亀表紙の雑誌見かけても「これどっちがどっち?区別つかん」って思ってたし
何よりジャニーズって、イケてる女子がリア恋枠でキャーキャー言ってるものだと思ってたから、自分とは関係ないものだと思ってた。
それでも金田一は好きで、ドラマみて「軽いwwはじめちゃん軽すぎるwww」ってなったし、
普通にのぶたも大好きで、Mステも好きだったから毎週見てたから、何回も修二と彰がパフォーマンスしてるのも見てた。
でも、まだその時は何とも思ってなかった。
■青天の霹靂
そんな所から沼への第一歩は、友人からの一通のメールだった。
「KAT-TUNが出るの忘れて外出しちゃった><
録画もしてきてない><
ホントごめんだけど、代わりに録ってくれないかな><」
その友人はその時 話題のアーティストにハマる傾向があって、
その時はたまたまKAT-TUNだった。
そんな友人からの何気ない依頼を受けて、私は【ミンテレ】を録ることになった。
ちゃんと録れてるかなー、と確認するために再生した。
これが、記念すべき第一歩。
ハルカナ約束~haha~SHE SAID...のメドレーを見て
あつい!閃光が!この体を!打ち抜いたよ!!!
「何これ、ほんとにジャニーズ?カッコよすぎる…」
そのあと、ちょっとだけ、「いや、話題になってるから気になるだけだし、そんな好きとかじゃないし」なんて謎の反抗もしたけど、結局落ちるのは早かったな。
RealFaceも3月22日に買いに行き(学校帰り寄ったらもう通常版しかなくて、しょんぼりしたよ!)(フラゲという概念がなかった!)(でもそのおかげ大好きなWillbeを手に入れられたよ!)
友人にDVD(海賊帆)を借り、何度も何度も見て、
その2週間後くらいにはアルバムとRealFaceFilmも買った。
ちょっと悪っぽくて、6人の個性が強くて、
「喧嘩とかもして仲良しじゃあないですけど、でも仲悪くはないですよ」っていう素直な感じが逆に好印象だったし、
何より、仁亀の1+1=∞みたいな関係が大好きだった。
4月末頃には6人の簡単なプロフィールは覚えきって、
2ndシングル「SIGNAL」の頃にはCD全種買うオタクになっていた。
「100曲くらいの中からこの曲選んだんすよ!」ってドヤってるKAT-TUNにプロ意識やべえ、かっけえ!って思ったし、
メイキングはわっちゃわちゃして可愛すぎたし、
この頃初披露されたSIX SENSESがカッコよすぎて死にそうになったし、
24時間テレビもあって仁亀お手紙ぃぃぃぃってなったり
過去の神様コンやごくせんDVD見漁ったりして
毎日いろんなKAT-TUNを摂取してどんどんどん沼に落ちて行った。
余談ですけど、どうして認知すると世界って変わって見えるんでしょうね。
ごくせん2最高じゃんか!はじめちゃんも修二もめちゃくちゃ可愛いじゃんか!てゆか田中。出てたの!?乞うご期待してたのに!!
■無期限の芸能活動休止
なのに、10月以降、赤西さんが留学するため芸能活動休止するって発表された。
芸能リポーターの中には、「もう帰ってこないでしょう」なんていう人もいた。悲しくて不安で泣いた。
たったひとつの恋に出る亀梨さんが、泣いてないのに泣いてるように見えて勝手に泣いた。
エンディング曲になっていた「僕らの街で」を祈るように聴いたけど、どんなに耳をすましても赤西さんの声が聴こえてこなくて泣いた。
絢香の三日月は仁亀ソングにしか聞こえなかった。
それでも、ベストアーティストのLOVEj事件や、聖が「期間限定の5人なんで」って言ってくれことを糧に応援していた。
帰ってくると信じて。
そんなこんなで、激動の2006年が終わった。
つづく。